こんばんわ。

今日は血液検査を行いました。

普通、病気になって病院にいって血液検査をするとなると、血液をとられて、一時間もすれば、結果が自動的に出てきますよね。

ところが、研究、実験となると、そうもいかないのです。

たくさん血液検査ばっかりをする実験室やお金のたくさんある研究室では、自動測定器をもっているところもあるのでしょうけど、わたしの実験室は、そういうところにはお金をかけれないということで(核心の実験ではないのは確かです)、手作業で測定を行います。

血液を遠心して、血球をおとし、血清だけにして、それに目的の物質と反応する酵素をいれて、数十分後にその反応を停止させて、吸光度を測定します。

と、書くとなんとなく簡単そうでしょ。。

さらに、論文になるときは、「これこれの酵素反応法で測定した。」とだけしか記載されません。

今まで他の人の論文を読むときも、結果をさらさらと読んでいましたが、実際自分でやってみると、その大変さが本当に良く分かります。

昔は、人間の血液検査も全て、こうやって手作業でやってたんですよね。

それを器械が自動でやってくれるようになって、結果がすぐ分かるようになりました。そして、簡単にできるものだから、なんでもかんでも、あまり考えずにオーダーするようになってしまいました。

機械化されて手間が省けた分、われわれはそのあまったエネルギーをどこに向けているんでしょうか?

より細かく、より精度を高く、正しい診断にいたる努力をしている。。それは確かに言えますね。

よりたくさんの検査が出来るようになったおかげで、より正確な情報を、より分かりやすく、より納得してもらえるように説明し、より早く、より確実に病苦を取り除くように努力しないと、器械の進歩に取り残されて、何のために働いているのか、何のために検査、治療をしているのか分からなくなっちゃうのかもしれませんね。

医療に限らず、いろんな分野でもそうなのかもしれません。

車が発明されて、活動範囲が増えました。よりスピーディに動ける時代になりました。

その結果どうなったんでしょう。。

いまさら「歩く文化」にもどろうなんて、これっぽっちも考えてはいませんが、その文明の利器をよりよく活かしていく生活をしていきたいものです。