相手の気持ち。。

昨日は当直でした。
夜中は幸い、全く忙しくなく、19日の鹿児島けいはん亭での体験記を書くことが出来たのですが、明け方の6時に電話で起こされてしまいました。

近くの関連施設からで、95歳のおばあちゃんが、意識がなく、脈もふれない、とのことでした。待つこと40分、救急隊のかたが心肺蘇生をしてくださりながら、病院に到着されました。心臓は全く反応せず、ご家族のご了解を得て、蘇生は中止させていただきました。

ドクターによっては、その段階ですぐに死亡確認をしてしまうかたもあるのですが、私は以前から、そこで一呼吸おいて、心臓や呼吸は止まっているようですが、魂というものがあるのであれば、まだそこにとどまっているかもしれないし、医学的にも聴覚が最後まで残るといわれているので、最後のご挨拶をされてはどうでしょうか、と申し上げて、ご家族と故人(正確には、まだ死亡確認していないので、本人と言うべきですね。。)の時間をとることにしています。

若い方は別として、時にその場に及んでも、「がんばれ」といわれるかたもあるのですが、そんな時は、「よくがんばられましたよ。ごくろうさんといってあげませんか?」とやわらかくいって差し上げたりもしますが、大抵の方は、最後に言葉をかけてすこしは心の整理が出来るようです。

さて、今朝もそのようにご臨終の場に立ち合せていただきました。

問題は病院から葬儀をされるご自宅にかえるのに、着物を取りに帰ったり、車を手配したりで、病院をでれるのが、9時くらいになるとのことでした。

契約上当直は7時半までで、「あとは私がやりますよ」と引き継いでくださった院長先生に言っていただいたのですが、最後を看取った人間がいないというのは、わたしも後味がわるいのも確かだけれど、本人(魂があると考えれば。。)、一緒に臨終に立ち会ってくださったご家族の気持ちを考えると、やはり最後まで責任を果たしたいと思いました。

結局、8時半には病院を出発されたのですが、最後まで責任が果たせてよかったなあという思いと、95年間の人生の幕を下ろすの場面に、居合わせていただいた、その奇跡に感謝した朝でした。