大事を得るために必要なもの。。

花のしたのちいさな実。。大きくなあれ

こんにちわ。

今朝もちゃんと早起きして身体を動かしてきました。えへへ。

昨日の宮崎は半そでで過ごしていても、汗ばむくらいの陽気でした。

研究室からみえる空も雲一つない青空で、気持ち良く実験することが出来ました。

さて、うちの庭にカボチャが実っています。

特別に苗を植えたわけではないのですが、気がついたらしっかり根をはり、茎をのばし、花をつけ、小さい実をつけていました。

他にも花がたくさんあり、その花ごとに小さい実がついています。

よくみると、花ごとに実がついているものだから数としてはたくさんなんです。

たくさんのカボチャが収穫できるね。。って奥さんにいわれて、ふと考えました。

このままにしておくと、根っこは一ケ所なので、すべての実を大きくしようとして、それぞれの実に十分な栄養が行き渡らない。

立派な実をひとつ作ろうと思ったら、その茎になっているものは摘果しなくてはならないのではないか。。と。

実際、その後そのようにして、大きなカボチャを収穫することが出来ました。
摘果された小さい実の立場にたつと、かわいそうだな。。という気持ちも強いのですが、大きな立派な実を収穫するためには必要なこと。。

もしかすると人生でも同じかもしれないな。。と思ってしまいました。
人生にはいろんな実や花がついたり、咲いたりするけど、すべてをうまくやろうとすると、もしかすると「そこそこ」になってしまうのかもしれない。

なにか大きな実を収穫しようと思ったら、大事なことは大事、そうでもないことはそうでもないこと、と割り切らないといけないのかもしれないなあ。。

能力がすごく高くて、すべての実を大きくできる。。自分の能力を制限したらいけない。。って積極思考の人たちはいうかもしれないけど、(実際自分も以前はそう思ってたから。。)本当の自分の幸せはつかめなかったりするんですよね。

自分にとっての大事をしっかり見極め、そこに集中する。いらないもの、できないものは、「いらない」「できない」といえる、その強さ、勇気が必要なのかも知れませんね。

そして、大事はなにか。。(これが分からないから苦労する。。といわれますが。。)
何ごとも恐れずに、やってみて、その上で自分の良心の声をしっかり聞き、このまま進んでいいのか、やり方をかえるのか、くり返し考えてみる、そして、それをくり返す。。

そうしているうちに「大事」が見えてくるのかも知れません。