明けましておめでとうございます。。

といいながら、実は、5日の午前中。。

思い出しながら書いております。

この日、心花ははじめての誕生日を迎えました。

昨年、二度の突発性発疹と思しき発熱を経験した以外は、鼻水と、かるい嘔吐下痢をしたくらいで、本当にすくすくと成長してくれました。

一緒に旅行するのは、もう少し大きくなってからかな。。とも思っていたんですが、奥さんの努力と、まわりの方の御理解、御協力で、飛行機デビューも果たし、いまでは、得意げに飛行機に乗り込むようになりました。

さて、はじめての誕生日。。

私達両親と、私達の両親である、おじいちゃん、おばあちゃんのみんなでお祝をしたい。。というのもひとつの考え方ではあったんですが、実は、今年、2006年の元旦は奥さんの同窓会の予定が入っていたんです。

それも、毎年行われるようなものではなく、高校を卒業して節目の10年目に、みんなあつまりましょう。。という公式行事としての同窓会です。

その話は、おつき合いをはじめたころから聞いていて、とにかく、お世話になった先生達や、親友にあうのをこころから楽しみにしているのがよくわかっていました。

それに、奥さんは、自分の成人式のとき、当日に40度近い熱をだして、式に参加できなかったようで、そのことも手伝って、今回の同窓会には是非とも参加したい。。という思いを抱いていました。

そんないきさつがありましたから、是非とも、彼女に同窓会に参加させてあげたいと思っていました。


結論からいうと、無事に参加することが出来たんですが、ここまでくるには、紆余曲折がありました。

まずひとつは、年末年始の当直があうか。。

以前の記事に書きましたが、ほかの人が休む年末年始は、わたしたち、大学につとめる人間からすると、いわゆる稼ぎ時です。逆に、稼ごうと思わなくても、当直のあなをうめるために、どうしても仕事しなくてはいけない。。という事情もあります。

幸い、これはくじ引きで、元旦と2日はフリーになることができました。

次に、航空チケット。。

正月は、大丈夫だろう。。とタカをくくっていたら、大間違いで、すごく多かったですね。

予約しようとしたのは、約2ヶ月くらい前だったんですが、結構埋まりかけていました。

幸い、元旦は「超割」のチケットが手に入り、ひとり片道1万円で奄美に渡ることができました。

とれなかったのはホテル。。

同窓会会場の奄美観光ホテル(地元ではアマカンっていうんですね)を予約しようとしたら一杯で、おじさんがつてを辿って、なんとか市内のホテルを手配して下さいました。(感謝)

そして、最大の問題は、おじいちゃん、おばあちゃんのこと。。

やはり、当然の心情として「孫のはじめての誕生日を一緒に過ごしたい。。」となりますよね。。

「はじめての誕生日を一緒に過ごさせてくれないなんて、なんて自分勝手な子供達だ。。」なんて思われないように、細心の注意を払おう。。ということになりました。

伏線を張りながら、「そうか、じゃあ、仕方ないね、行っておいで。。」って笑顔でいってもらえるような環境を作っていこうと思っていたんですが、約1ヶ月前、不意に、「元旦はお雑煮たべにくるんやろ。。」って聞かれたときにはどう答えるか一瞬迷いました。

覚悟を決めて、「いや、実は元旦は奥さんの同窓会が奄美であって、それに参加させてあげたいと思ってる」と答えました。

私の母と妹は、「それはいいわ。。楽しんでいらっしゃいよ。。」といってくれ、父も「行っておいでよ」といってはくれたんですが、その話題のあと、父の口数が少なくなったような気がしました。

父の気持ちもよく分かるんです。。

長男なんだから、正月はちゃんと実家に来てほしい。。というのも分かります。また、父のなかで、息子が嫁よりになって、もしかすると、宮崎をすてて、奄美にうつり住むって言い出すんじゃないか。。ってちょっと不安に思っているのも分かっているつもりですが、(実際、両親とお墓のある、宮崎を捨てるようなことは、一切考えていませんが。。)今回だけは、額をたたみに擦り付けてでも、奥さんを同窓会につれていってあげよう。。と思っていました。

自分にとって、一番大切にしていること。。

それは、「大事に思っているひとを悲しませないこと、一生懸命その人を守ること」です。

両親の顔をたて、奥さんに奄美行きを我慢してもらうことは、絶対したくありませんでした。

もちろん、両親を悲しませることもしたくありません。

だから、両親には、素直に、「はじめての誕生日をいっしょに過ごせなくてごめんなさい。そのかわり、クリスマス、大晦日とできるだけ一緒に過ごせるように時間をとるから、笑顔で彼女を同窓会に行かせてやってください」とお願いしました。

私以上に苦しかったのは奥さんだったはずです。

自分の希望を叶えるために、心花のはじめての誕生祝いが宮崎でできないのですから。。

その苦しみ、悩みをできるだけ少なくしてあげるのが私の一番の役目だと思っていました。

結局、奥さんの風邪がひどくなり、クリスマスのホームパーティも大晦日の挨拶も、予定通りには出来なかったんですが、そんな気持ちを分かってくれて、みんな笑顔で奄美に送りだしてくれました。


もっとも、2日に帰ってきて、待ってるだろう、、とそのまま実家に向かおうとしたら、「お、お帰り。。いま、鵜戸神宮に向かってるところ。。明日、昼ご飯用意してるから、明日おいでよ。。」って軽くいなされてしまいました。

疲れていた私達には、その心の軽さがとってもありがたかったです。

これが、もし、待ち構えていて、「待ってるからそのまま、こっちに向かいなさい」だと、辛かったかも。。
きっと、両親の優しさだったんでしょうね。ありがとうございました。