「そうですか、奥さん、亡くなられたんですか。。もう長いんですか?」

超音波をあてるためにお腹に塗っていたゼリーを、お湯であたためたタオルでふきあげながら、それとなく聞いてみる。

「5年前ですわ。突然、癌でですね。」

「そうですか。。寂しいですね。。」

といいながら,次の言葉を探している。

要は、この方が前を向いて歩けるような気持ちになってもらえればいい。。人生は楽しい。。とまではいかないまでも、「生きてみようか」と思ってもらえるようなきっかけを提供してあげたい。

「こうやってお酒を飲んで、病院に運ばれる姿を、死んだ奥さんはどう思ってるでしょうね。。」

こう切り出すのもひとつの選択肢である。
しかし、これは下手すると、ますます本人を追い込んでしまう可能性がある。

「むすこさんはなんで結婚されないんですか?」

「いやあ、甲斐性なしなんですよ。おれとはぜんぜん違って、ぴしゃっとしてないんですよね」

「お子さんはおひとりなんですか?」

「いや、ほかに娘がいて、それは嫁にいってるんですよ。その子はできが良くてですね、楽しみなんですわ」

「人生の楽しみがあるじゃないですか。。お孫さんにいいとこ見せてあげたらどうですか?」

「そうなんですけどね、弱い人間なんですよ」

「人間って、だれも完璧なひとっていませんよ、でも、すこしでもよくなろうって生きていくうちに、なんかいいことってあるんじゃないかなって思うんですよ。@@さんにくらべると、全然人生の若輩者がこうやって意見するのははなはだ僭越だとは思うんですけどね。

でも、自分が弱い人間だって認められるってすごいことですよ。弱くて,酒に逃げているってことをちゃんと、自分で受け止めることができれば、次に進めますよ。

人生の意味とか、人生の楽しみとか、実は答えはどこにもないのかもしれません。自分の弱さや問題点をちゃんと見つめて、それを乗り越えようとする時、又,乗り越えた時になにか自分で感じるものなのかもしれませんね。

決して宗教をよく知っているわけではないのですけど、どの宗教もじつは「これ」という答えを用意しているのではなくて、自分のこころの持ちよう、また、自分の内面と向き合いなさい。。といってるのかもしれないなあ。。と思うんです。

お酒を断つという試練は、幸か不幸かわたしには訪れた事がありません。じつは、タバコも吸わないので、禁煙なんかの辛さも知らないんです。

いいなあ。。と思われるかもしれませんが、考え様によっては、禁酒や禁煙という試練を乗り越える、、というチャンスが私にはないのです。

息子さんが結婚しないで、いやだ。。と思われているようですが、恥ずかしい話ですが、わたしは一度離婚した事があります。わたしの両親には、かけなくていい心配や悲しみを与えてしまいました。

ものごとにはいいとか,わるいとかっていうのは、実は何もないんじゃないのではないでしょうか。

自分の足元を見つめてみてください。「これは、いやだな」と思うことがあったら、それをやめる勇気をもってください。愛する子供さんやお孫さんのために、強くなってください。」

「先生、もうしばらくここに横になってていいですか。。」

照明をおとした超音波室で、涙をぬぐうお父さんの肩をひとつ、優しくたたいてそっと部屋をでるまめひげ先生でした。