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こんばんわ。
昨日は結婚記念日だったので、帰りに花屋さんとケーキ屋さんに寄って帰ることにしました。
帰り道の花屋さん。。といえば、いつも通るみちに一軒あったのは、確かに記憶していたのですが、そことは別に、時折奥さんと一緒に買い物に出かけるスーパーのとなりに、花屋さんがあったような気がして、ちょっと遠回りではあるのですが、なんとなく、そっちの花屋さんに寄ってみることにしました。
果たして、記憶通りに花屋さんがありました。
ただ、問題は、店の前でまわりの花々に水をやっていたのは、どう見ても70歳をこえている男性のかたです。
花屋さんといえば、「これこれのイベントがあるんで、これこれで花束をつくってください」とお願いすると、色とりどりの花がたくさん入った冷蔵庫みたいなことろから、何本か取り出しだして、あっという間に花束をつくってくださる。。というイメージだったので、失礼ながら、70を超えたおじさんが、はたして花束をつくれるのだろうか。。そう思いながらも、
「いやいや、こっちを選んだのも、なにかの縁だしね。。」
なんて、気を取り直して、お店。。というより、そのおじさんのほうに向かって歩いていきました。
「こんにちわ、花束、いいですか?」
「お、、いいよ。何があるの?」
花束を買いに行って、何のための花束かを聞かれたのは、記憶にありません。その質問が不意だったので、
「あ、今日は、結婚記念日なんですよ。」
臆面もなく答えることが出来ました。
「ふーん、なら、これがいいよ。。」
そういいながら、保冷庫から、デコレーションされた花かごを薦めてくださいました。
そのあと、どんな会話を交わしたのかあまり覚えていません。きっと、この花屋さんが終わって、つぎに、ケーキ屋さんによって、、、なんて考えていたんでしょうね。
きっと、おじさんの話を上の空で聞きながら、いい加減に相づちをうっていたのでしょう。
そんなわたしの耳に、
「被爆」という言葉が飛び込んできました。
「え?おじさん、被爆されたんですか?」
「おうよ。広島でな。。ちょうど、あの近くを通りよったんよ。」
話を伺うと、別の訓練場から、呉へと向かう途中だったらしいです。
広島の爆心地の近くを通ったのが、8月15日。原爆投下から、9日後。。
「6日じゃないんですか?」
「おうよ。以前は認定されてなかったけど、最近になってやっと、原爆投下から2週間以内はみとめられるようになったんよ」
と被爆認定の手帳を見せてくださいました。
「おじさんも、戦地に赴かれたんですか?」
「いや、訓練中じゃった」
「回天」という言葉をご存じでしょうか?
知覧などの飛行機の特攻隊とおなじように、海軍にも特効部隊があったらしいです。
恥ずかしいことですが、「回天」という言葉をしりませんでした。
魚雷といえば、水中をすすむミサイルを想像しますが、その魚雷に人間が乗り込み、操縦し、目的に衝突する。そして、その先端に乗せている爆薬で破壊する。。それを人間魚雷と呼んでいたようです。
その人が乗れるように開発された魚雷が、「回天」で、その訓練を受けておられたらしいのです。
その貴重な写真集を見せていただきました。
だれも、悲壮な顔を見せていないのが、逆になぜか胸を締め付けるのです。
何を思って、散っていかれたのでしょう。
何を私たち、後世のものに託されたのでしょう。
何を必死に守ろうとされたんでしょう。
それをちゃんと引き継いで、守っているでしょうか?
みなさんの思いに応えられているでしょうか?
おじさんは言われました。
「わしたちが語っていかんといかん。。」
聞く耳があるか。。感じ取れる心があるか。。忘れようとしているもの、失おうとしているものはないか。。
そしてもうひとつ。。
人間魚雷の存在をしりませんでした。おそらく、わたしの勉強不足、あるいは常識の欠如なのでしょうが、きっと、これ以外にもたくさんたくさん私の知らないことがあるのだろうと感じました。
知りもしないのに、すべて知っているかのごとく振る舞い、そして判断を下す。。それは、もしかすると、判断をあやまる原因の一つになるのかもしれません。
知らない世界がたくさんある。。改めて肝に銘じよう。。そう考えさせられた出会いでした。
考えさせられる出会いでした。