死を自覚すること
これは、2日前の外来での話だったと思います。
そして、このことを書こうと思いながら、書けずにいたら、従兄弟がなくなり、そして、あかんべい先生のブログのリンクを経由して、すばらしいサイトを紹介して頂きました。「本当のありがとうはまだいえない」というところです。
さて、本題です。その方は進行癌に対して別の病院で手術をうけられた方です、一般的にはあと半年と判断されるくらいの進行具合でした、しかし、抗癌剤の効果で、癌が切除可能なくらい縮小して、手術をうけられました。
その後の抗癌剤の投与、再発がないかの経過観察のために紹介された患者さんです。
手術されて、3ヶ月たちましたが、幸い、血液検査での腫瘍マーカー上も、CTやエコーでも、再発の徴候はありません。
ただ、ずっと気になっていることがありました。
この癌を見つけたのは私ではなく、私は手術が終わってからのこの2ヶ月くらいしかまだ、おつき合いがありません。
そのなかで感じていたのは、いつも不安でいっぱいだったんです。
すこしお腹がいたいと何か起こったんじゃないか、再発したんじゃないか、大丈夫か?と執拗に質問されます。
もちろんお腹の手術後なので、癒着性の腸閉塞やたしかに、お腹の神経のまわりに再発してくると痛みがでてきます。
これらのことはちゃんと所見をとり、検査をして、違うということを納得して頂いていました。
しかし、このことの繰り返しなんですね、もっと根本的にこの方の考えをかえないと、きっと悩むこと、不安に思うことで別の病気をひき起こしかねないと思っていました。
そこで、今回は意を決して申し上げました。
今回も血液検査、お腹の所見、X線、特に問題ないようですね。よかったですね。
さて、あえて失礼を覚悟で申し上げさせて下さい。
人間みんな死にます。生まれて来た以上は、かならず死にます。これは私も看護婦さんも奥さんもそうです。
その死を自覚して、その死という日がくるまで、そう生きるかがその人の幸せをきめるものだと思うんです。
ですから、@@さんも、いつか死ぬということを自覚して、一日一日をしっかり、精一杯生きていただけませんか?
『え?再発したんですか?もう手後れということですか?』と返されました。
いえ、本当に再発のサインは出ていません、しかし、若輩の私が申し上げるのも失礼と思いますが、@@さんは毎日、不安におびえながら、あるいは、ささいな症状に気をとられながら毎日を過ごしておられる気がしてなりません。
このまま毎日をすごしても、いつかやってくる死という日に「ああ、よかった、楽しかった」と思えるでしょうか?
折角手術で生き延びた命です、その日まで一生懸命生きてみられたらどうでしょうか?
私でよければいくらでも協力させて頂きます。
もちろんがんに戦うという一生懸命さもあっていいと思います、その一つの手段に抗癌剤もあります、それをお渡しするのは医者である私の役目ですし、喜んで協力させて頂きます。
もし、癌と戦うのに、意識を返ることが必要で、それにわたしの言葉が必要であれば、それも喜んで協力させて頂きます。
最後は笑って、「ありがとう」といって下さいました。
@@さんの視点が、がん中心ではなく、@@さんの本当の幸せに向くこと、そして、それが@@さんの為になると信じています。
一緒に頑張っていきましょう。