私の夢、のつづき

上の話のつづきです。

わたしが、こうやって思い始めたのには大阪のおじさんの今回の病気のことがありました。

ずっと、C型肝炎が陽性で、インターフェロンも使ってみたんですが、ウィルスは消えず、とうとう肝臓癌が出来てしまいました。

肝臓にしこりができたと聞いたのが3年くらい前だったでしょうか、これはある意味仕方のないことです。出来てしまっても、肝臓癌であれば、小さいうちに治療をすればコントロールできるし、うまくつきあうことが出来る時代になっています。

おじさんの場合は、しこりができたとは聞きましたが、話によると、お医者さんに癌ではなく、過形成で、どうも癌ではない、とのことでした。でも、一部癌のこともあるし、ちゃんと定期的に大きさを見てもらっててね、といったままにしていました。

そして、昨年の10月くらいに肝臓癌が大きくなって、手術はむずかしい、という話が飛び込んできました。

どうも、薬はもらっていたものの、ちゃんと検査をしていなかったようです。「わたしがもっと勧めていれば。。」という負い目はありますが、なってしまったものは仕方がありません。

なんとか治療法を考えるのみです。

話を聞くと、説明はしてもらえるけれども、話の内容がよくわからない、どの治療を選択したらいいのか分からない、というものです。

わたしも肝臓の知識はありますが、確かに、難しい選択です。
ここでは、くわしいことは述べませんが、私でも選択に困るものを、素人のかたに判断させるのは本当に酷です。

いまの時代は患者が賢くならないと。。といわれますが、医学書をいくらよんでも、治療法の微妙なさじ加減は勉強することは不可能です。
中途半端な知識で、患者、家族に選択させることは、本当の意味での患者さんのための医療ではないと考えるようになりました。

今回のおじさんは、わたしが親戚にいたので、私が直接大阪に行って、CTを見たり、話を聞いたり、ほかの選択枝についての、その先生の信念を聞いたり、そのうえで、今の治療を選択することにしています、さらに、これが効かなかったとき、あるいは、効いたときのつぎの選択肢を考えて、先に進んでいます。

このように、本人も、家族も十分納得して治療を受けている人がどれだけいるでしょうか?
おそらく、人間味あふれる先生で、自分の時間を使ってまでも、十分分かるように何度も何度も説明して、自分の中で、いろんなことを消化して、かつ、自分でその治療とその効果まで、一身に背負っておられる方はたくさんいるでしょう。

このような先生にあたった患者さんは幸せです。
けど、その先生はいっぱいいっぱいです。

お医者さんも、得意、不得意があります。患者さんの心をつかむのが上手な先生、手術が上手な先生、検査が上手な先生、上手なことにたくさんの時間を使わせてあげたい、そうすると、患者さんも幸せだし、お医者さんも幸せです。

わたしの出来ることってなんだろう?そう考えたときに、手術、検査の上手な先生はたくさんいる、わたしの大切な人には、本当に必要なものを、最高の形で受けさせてあげたい、ただ、それだけです。

でも、もう少し考えました。
本当にそれだけ?
わたしの大切な人だけでいいの?
違うようです。
大それた考えですが、こんな気持ちをみんながもったら、世界中の人が幸せになれますよね、これは医療だけでなく、すべてにおいて。。

微力ではありますが、幸福の猫でである「まめぞう」さんの力をかりて、伝えていきたいと思ってます。

これが、大阪のおじさんへの恩返しかなあ。。