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どんなおばあちゃんなのかは下の方に書いてあります。
そのおばあちゃんのそばにいって、すこし、その意味について考えさせて頂こう、と思ってお部屋にいってきました。
ついておられたのは、娘さんでした。とはいえ、77歳。
結局1時間程、人生とは、幸せとは、気付くということとは。。。などなど話をさせて頂きました。
なかなか整理して、みなさんにお伝えすることは難しいですが、自分なりにそしゃくして、自分の言葉でいろいろ伝えていけたらいいなあと思ってます。
まずは私のことから言わせて頂くと、いままでも100歳をこえる方の診療にあたらせて頂いたことは、何度もありましたが、今日のように考えたことは一度もありませんでした。
100歳まで生きたのだから、もう十分、チューブを入れたり、手術をしたり、そんないたい思いをさせるのは可哀想、だから、あまり過激なことはしないで、できるだけのことはしながら、自然にまかせましょう。といっていました。
でも、結局、それは本当の意味で、その患者さんのことを考えていたのではないのだなあ、と気がつきました。
本当の意味でその方の思い、考えにたった時、その方は何を望んでいるんでしょうか?
積極的な医療をしてもらって、もっと生き延びさせて欲しいと、思っている方は確かに少ないでしょう。
表面的にはすでに物言わぬ病人になって、われわれにとっては非常識的な行動をとっていることも多々あるでしょう。
けど、その方はなにを考えているんでしょう、なにを伝えたいと思っているんでしょう。そう考えるようになりました。
今日のおばあちゃんは、これまで、肺炎なり心不全なりで何度も生死の境をさまよったらしいです。それでも、生き延びておられます。
そのことによって、娘さんは、病院のスタッフにたいする感謝の気持ちを学ばれたそうです。そして、娘さんがおばあちゃんをずっと看てきた、その姿勢をさらにその子供達がちゃんとみて、やさしく育っているそうです。
もしかすると、目はつぶったまま、言葉はしゃべれない、非常識なことをくり返す、そんなおばあちゃんではありますが、そのことを伝えようとして、生き延びておられたのかもしれません。
あるいは、わたしのひとりよがりな感想を言わせて頂くと、わたしに、このことを気付かせるために、私がここまで考えが及ぶまで、まって下さったのかもしれません。
本当にありがたいことです。
そんな話を本人をはさんで娘さんとさせて頂きました。
いつもは大声でおじちゃんをよぶらしいのですが、その時ばかりはさも聞こえているかのように、目をつぶっておられました。
もしかすると、これで安心して安らかに眠られるかもしれませんね、と娘さんとお話をしましたが、娘さんもそうかもしれないと思っておられたようです。
おばあちゃん、未熟者ですが、たくさん学ばせて頂きます。。