我思う、故に我あり

今回の講演で用いるかどうかは別にして、この言葉をもとに何かを伝えたいと思ってます。

ぽーんと、この言葉を子供に投げかけたらどうなるでしょうか。

「むかしのひとが、我思う、故に我あり、という言葉を考えつきました。みなさんはどう思いますか?」

どんな答えが返ってくるでしょうか。

学年や状況によるでしょうけど、フランスの哲学者デカルトの言葉である、ということは知識として知っているかもしれません。

学校で教えてくれることは、ここまでです。

もしかして、歴史、哲学に興味のある先生であれば、デカルトがこの考えにいたった経緯について教えてくれるかもしれません。

それも、この言葉に対する知識です。

自分たちで知ろうとしなくても、ここまでも知識は教えてもらうことができます。

けれど、その言葉の意味、自分の人生に置き換えて、物事を考えてみる、つまり、この言葉から何かを気付く、というのは、自ら考えてみなければ到達できないでしょう。

いまの教育の問題点のひとつに、学校でやったことが社会で役にたたないから、なぜ勉強するかわからない、という疑問に大人が明確な答えを子供たちに与え切れていないのではないかなあと思ってます。

教えられて得られた知識よりも、自分たちで考えて、知ろうとした知識、役に立てようと自分で思って、そこから得た知識は必ず、自分にとって役に立つと思うんです。その場として、学校、そして、10代というのは重要な時期なのではないのかなあ、その大事な時期をぜひ、大切にしてくださいと、子供たちに伝えたいと思ってます。

ただ、この話は、かなり先の話ですね。この話が腑に落ちるような子供たちが増えてくるといいなあ。。