現実逃避。。というか。。

こんばんわ、来月の5日に、自分の教室の研究発表会があり、それの準備をしないといけないのですが、それは、さておき、本を読んだりしております。

今回の研究発表は、学会と違って、いままでやってきたことを出さなければなりません。だいたい、4−5ヶ月に一回あるのですが、裏をかえすと、この4−5ヶ月でやってきたことを発表しなくてはなりません。

予備実験があったり、技術的な試行錯誤があったり、なんとか、データが出始めたのが、最近なので、まだまだデータを集めないといけない時期です。

まあ、ぼちぼちがんばっていきます。

何事もあまり難しく考えると、行き詰まってしまいますね。

医学博士をとるための研究、、、なんていうと、なんか大それたこと、大変なこと、みたいに自分でも思っちゃいますが、結局、受け持ち患者さんもいないし、手術をしないといけないわけでもないし、すごく気楽なんですよね。

それに、誰も知らないことを自分が先に見つけることが出来るかもしれない、というわくわく感や、医者になったからといって、だれもが経験できるわけでもない、研究期間を過ごせるのですから、本当に幸せですよね。

医学博士のための研究。。大したことないんです。そう考えると、心がふっと軽くなります。そう考えることが出来るようになると、「せっかく与えられたことだから、楽しんでやろう」って気持ちになるんですよね。


それはともかく、今日は当直です。
なので、一冊の本をもってきました。

五木寛之さん、「大河の一滴

大河の一滴って鹿児島の焼酎にもこんな名前のやつがあった気がするなあ。。(間違ってたらごめんなさい)

泣きながら生まれてきた人間が(うまい表現ですね)笑いながら死ぬためには。。年間2万人以上が自殺する(交通事故死より多い)いわゆる内戦状態の世の中をどう生きていくか、などについてのエッセイでした。

最近考えていたことを整理するのにちょうどいい本でした。斉藤一人さんは、がんばっていると、指導霊がついてくれて、(講演CDでは、しどうれいが、ひどうれいに聞こえますが。。)さっと必要な本を手に取らせてくれる。。といわれていましたが、まさに、そういう本だったのかもしれません。

とりあえず、いま、こころに残っているフレーズは、世の中は混沌としているということを認めることだ、というところでしょうか。。

これは、この前まで読んでいた司馬遼太郎さんの本にもありました。自衛官の方が質問をされるのです。「日本はどうあるべきでしょうか?」。。「世の中の猥雑さを認めることです。」

混沌、猥雑さ、どちらもこの一文ではうまく伝わりませんが、まさにそのとおりだな、と思います。そのなかで、私ができることってなんなのか、自分という小ささを自覚しながら、精一杯光る努力をしてみることが、わたしの生きる道なのかもしれません。