ただいま戻りました。

都城の続きです。

本丸のとなりにある、狭野神社のあたりですが、いまでこそ神社ですが、神社の形態を取るようになったのは、おそらく近世ではないかと思っています。これはちゃんと調べていないのでわかりませんが、宮崎の名前のもとになった宮崎神宮でさえ、ちゃんと整備されたのは明治時代、それも、中期のことですから。。(これも、今後の課題ですね)

二の丸として存在していたときは、お城があったのかもしれません。そんなことを想像するとなんかわくわくしてきます。

それはさておき、神社にはいって、鳥居のまえに立て札がありました。

祭っているのは先日来出てきている神武天皇なんですね。

そして、よく考えると、もう少し西にある、高原町狭野神社と同じ。この、高原町狭野神社神武天皇が生まれた所だという伝説があります。

さらに、立て札をよんでみると、

もともと、神武天皇の皇居があったところで、ここから宮崎神宮にいき、そこから東征に出かけたとのことで、東征にあたって、この皇居が汚されることがないように、土をもり、塚にした。そして、この塚を古い宮とかいて、宮古島とよび、宮古神として祭った、、

とあります。

そうなんです。都城(みやこのじょう)のミヤコは宮古から来ていたんですね。

もともと、宮古島と呼ばれていた、この小高い丘に、城を築き、都城と名づけた、、というのがなんとなく、納得がいきます。

そんなことを思いながら、だれもいない境内をあるき、参拝し、胸いっぱい空気を吸ってきました。

いやあ、歴史って面白い。人間だれしも、時がたち、歴史になるのですが、そう思うにつれ、今をしっかり生きなきゃな。。と思う宮古島散策でした。