うそ。。

実は、奥さんにひとつ嘘をついております。

「嘘」という言葉は嫌いなのですが、言い出した手前、なかなか訂正することができず、このまめぞうに書くことで訂正しようと思っていたのですが、それさえも、なかなか書き出せないままでありました。

先日、いつものように心花とおふろにはいり、湯船に浸かっていると、ぽつぽつと外から音がしてきました。家のとなりは、大家さんの資材置き場があり、その一角の駐車場のトタン屋根に雨がたたきつける音でした。

その音を聞きながら、「ああ、雨だね。。」って心花に話しかけながら、ふと思ったんです。

「本当に雨だろうか。。」

見てもいないのに、雨って決めつけてもいいのかな。。実際見たとしても、闇夜というキャンバスにきらりと光る線を見るだけで、また、屋根をみても、跳ね返るしぶきを認めるだけです。

それが雨であると最終判断するためには、実際、その線状のものを触れて見なければなりません。

そう考えながら、そこで、自分の毎日を振り返ってみたわけです。

目の前で起こっていることを、見たり聞いたりするだけで、中途半端な知識を元に物事を判断してしまっているのかもしれないな。。それ以前に、その音に注意を払っているのかな。。と。。

毎日、いや、一瞬一瞬の出来事に耳を傾け、目を向け、それを大事に咀嚼する。。そんな毎日を送りたいな。。と思ったのです。

そこで、この気持ちを句にしようと思いました。


地打つおと  ぬれてこそ雨


これは、力作。。と思ったのですが、普通に奥さんに話したら、私がつくった。。というバイアスがかかって、自然な感想が聞けない、、と思ったので、その日は黙っていました。

私の住む清武町には安井息軒先生の生家があり、そこに資料館が建っていますが、後日、そこを訪問する機会があり、悪意無く、くだんの一句を安井息軒先生の句だと偽って、奥さんに披露、感想を聞いてしまいました。

「ほお、さすが息軒先生、知行合一の精神なんだろうね。。」

と奥さんが褒めて、それに対して

「実はね、ぼくが詠んだんだ。。えへへ」

ちゃんちゃん。。と話しは進むと思っていたのに、奥さんたら、

「結局濡れないといけないんでしょ。。自分は嫌だな。。」

なんて、思いっきりダメ出しをしてくれちゃったものだから、本当は自分の一句だ。。と言い出せなくなってしまいました。

安井息軒先生もいい迷惑ですよね。(苦笑)

はあ、ちょっとすっきりしました。

ちなみに、資料館に展示してある、本物の安井息軒先生の句は、

今は音を忍が丘の杜鵑(ホトトギス) いつか雲井のよそに名乗らむ

です。若い頃、苦学をしているときに、いまはまだ力不足だけれど、いつの日か一事を成し遂げてやる。。と気迫のこもった一句です。