ものごころがついたときには、すでに兄がいた。

6歳離れているので、兄が小学一年生になるまえの、幼稚園の年長さんのときに自分が生まれた。

精神年令はいまでこそ、ほとんど同じ、もしくは自分のほうが上かもしれないが、実年齢だけは、いつまで経っても埋めることが出来ない。

自分が小学生にようやくなったとき、兄は中学生になった。ようやく生え始めたひげを毎日せっせと毛抜きで抜いていた。そんな兄がとっても大人に思えた。そして、たよりにしていた。兄の言うことならすべてが正しいと思っていた。

いまになってよく考えてみると、理不尽なことを言われたり、無茶なことをさせられたりしたのかも。。なんて思わないこともないけれど、そんなひとつひとつの思い出と言うより、ふたりでいろいろ考えながら小さかったころをともに過ごした記憶が、なんとも言えない淡い、柔らかいオブラートになって、当時の記憶を包んでいる。

自分が小学校の6年間を過ごすうちに、兄は、中学を卒業し、高校に入学した。自分は小学生のままで、兄だけが、どんどん大人へ近付く気がして、すごくうらやましかったし、自分も誇らしかった。と同時に、自分だけが取り残されてるような気がしてた。

兄が地元では普通行かないような進学校にいったとき、親戚のみんながくちぐちに褒めてた。

だから、自分もそうありたいと思った。けど、小学4年生の自分には何をすればいいのかわからなかった。

でも、不思議と焦る気持ちにはならなかった。

そんな高校で『新しい柔道の技を覚えてきた』なん言いながら、いつものように、いたずらっぽく、にこにこしながら近付いてくる兄をみてると、高校生になったとはいえ、兄はまだまだ小学生のようだった。

高校生になったらさすがに、父に殴られる程の悪さはしていないようだったが、中学生までは、たいてい半年に一回は見ててこっちが恐くなる程、怒られていた。そんな兄を見ながら、『悪いことをしたらここまで怒られるんだな。。』とか、『こういうことをしたら、父に怒られるんだな』というのがよーくわかった。

とにかく、そんな兄をずっと追いかけてた。

追いかけて、同じ高校に進んだ。自分もおなじ、医者への道を進もうと思った。

けど、なぜか、『医者はやめといたほうがいい』。。そういわれた。

なぜか分からなかった。分からなかったけど、兄のいうことは正しいと思ってた。

けれど、やっぱり追いかけている。医者ではなく、薬剤師になった。

薬剤師になって、もう、6年。。

もう兄のことを追いかけてないのか。。

いや、ついこの間、ニ度目の結婚式をした。泣けた。あんな結婚式を見せられたら、自分はどんな結婚式をすればいいんだろ。。

思えば、いつもいつも高い壁を突き付ける。

高校受験もしかり、、大学受験もしかり、、そして、結婚式もしかり、、

でも、この前、兄にいわれて嬉しかった言葉がある。。

『もう、自分が答えを教えてあげる段階じゃないよ。。その答えに従うんじゃなくて、自分で答えを見つけていくんだよ。いろんな経験をして、もうすでにそれができる段階に来てると思うよ、答えを導くプロセスを大事にして、そして、それからでた答えには、しっかり自分で責任を持たなきゃね』

兄が社会人となって実家を離れて、すでに13年。柔道やプロレスどころか、あまり話すこともなくなった。。あんまり自分のことは考えてくれてないのかと、ちょっと寂しかったけど、実はちゃんと見てくれてた。ちゃんと見守ってくれてた。

悩んでたことに、昔みたいに『こうしろ、ああしろ』と教えてくれなかったけど、ちゃんと話を聞いてくれて、おかげで気持ちの整理がついた。

そんな自分も今日で区切りの年だ。

0時を過ぎてメールの着信を知らせるメロディーが流れた。


『誕生日おめでとう。ますます素敵な女性になってくまさい』


「素敵な女性か。。また、大きな壁をぶつけてきたな。。」そう思いながら、保存ボックスに登録し直した。