うわー、久しぶりです。
日付の入れ方も忘れちゃってます。きっと*t*で今日の日付が表示されることでしょう。

さて、暦はもう8月。お盆も過ぎて、今日は処暑
確かに、ひところに比べると過ごしやすくなった気もします。

宮崎は南国で、いまだに暑いことだろうと思われがちですが、朝夕はちゃんと25から6度くらいですし、案外過しやすく、テレビで東京の猛暑ぶりを見ていると、都会は大変だなあと逆に心配しているくらいだったりします。

10月からこの病院に勤務し始めていますが、もう少しで一年。今年の4月に同僚の先生たちが3人辞職したため、特にこの4月からは忙しく、それに、ちょうど半年くらいたったところでシステムにも慣れてきたために、かなりの仕事量をこなしていることになっています。

「もう外科医はやめる」

そう思っていたはずだけど、それどころか、この10ヶ月は本当に密度の濃い期間になっています。

「常識を超える」

どこで読んだかは忘れてしまったけれど、だれもやった事がないことをはじめるときにそのプロジェクトのリーダーが言っていた台詞でした。

そんなたいそうなことではないけれど、ある意味、常識的ではないことをやっているのかもしれません。

ほかの病院で「手術不能」「治療不能」といわれ、緩和ケアを勧められた方々が希望を求めて来院されます。確かに手術で全てを取り除くことは難しいかもしれません。そして、常識的には手術をしてもしなくても寿命はかわらないかもしれません。

けれど、患者さんの「抗がん剤にかけてみたい」気持ちはよくわかります。「もっと生きたい」気持ちもひしひしと感じますし、それに圧倒されもします。

わたしたちに出来ることはないだろうか?
手術が出来ない、手術をしても一緒。という医療者の言葉に、実は「大変なことを背負い込むのは面倒だ」という気持ちは入り込んでいないか?と自問するわけです。

「手術をしても寿命は一緒です。どうせ一緒なら、いま、痛みもなく、食事も食べれる時期を楽しく過ごすほうが本人にとっていいのではないかと思うのです。」

そういう考え方を否定する気持ちはありませんし、実際そうしてもきました。けど、いまの自分は「そんな医療だけでいいのだろうか?」と思うわけです。

「痛みもない、食事も食べれる。体力もある」そんな時期だからこそ、一縷の望みにかけたい!という患者さんもいるのではないかと思うし、実際、その気迫がわたしたちを突き動かしているのです。

今の常識で「何も出来ない」という、その空気に甘えてしまったら実はそれ以上のものはどこにも生まれてこない。。そんな危機感と、そしてそこにあえて挑戦している、、という高揚感、それと、本当に患者さんのためになっているのか、そんな不安感、、いろんな感情のなか、とにかく一生懸命毎日もがいています。

だいぶやわらいだとはいえ、暑さが続きます。みなさん、お体にはご自愛下さいまし。