続けて。。

司馬遼太郎著 『空海の風景(下巻)』 中央公論社

上巻に比べて、書かれていることが、最澄とのやりとりであったり、空海人間性であったりだったので、わりと読みやすかったです。

上下巻を読み終えて、空海というひとをもっと知りたいという思い。

現代の日本人を知るには、日本が培ってきた歴史、宗教感について知る必要があること、その根本の一つに、通常いうところの仏教を顕教というのに対して、密教があり、それも、空海が大成させた正密に対して、雑密があり、この雑密を多分に生活の中に受け入れていれていたということをもう少し突き詰めてみる必要があるのかな、と思ったりしました。

そして、司馬さんの言葉を借りれば、日本の歴史の中で、はじめて民族社会的な存在ではなく、人類的な存在であった空海が、なぜそのような思考を持つことが出来たのか、その思考はどんなものだったのか、垣間見てみたいと思っています。


ただ、昨日、本屋さんで「空海」や「真言宗」についての本を探してみたんですが、余りないんですね。

結局、空海の見た風景、空海の知った世界を知る為には、本を読んでしることは無理なんでしょうね、、、とそこまで考えたら、空海の持ち帰った経文を読むことで、密教を会得しようとして、最後には空海に拒絶されて、絶縁状態になってしまった最澄と一緒だな。。と苦笑いしてしまいました。

仏教と異なり、宇宙の視点から現世、人間、この世の諸状を観るという点において、過去よりも今、空海を見直す時代なのかもしれないなあと思うのですが、いかんせん、勉強不足です。

これから先は、もう少し勉強してから筆をすすめることにします。