母の日と父の誕生日。。

おはようございます。

昨日は母の日でしたね。みなさん、感謝の言葉を伝えることができましたでしょうか?

うちは、父の誕生日も重なりました。
毎年、母の日と父の日はおなじときに祝います。

私や奥さんの母の日でもあったのですが、心花にとっては、わたしの奥さんが母。。ということで、心花にかわってありがとう。。

昨日は、目をみて、ありがとうということが出来なかったので、今日、改めて、思いを込めた言霊を奥さんにあげよう。。

プレゼントについては、先日福岡のホテルにいったときの全身アロママッサージ。。気持ちよさそうにしている奥さんをみて、本当にうれしかった。。いつも、心花と私のお世話をしてくれてありがとう。。

今日は、奥さんのお母さんとお食事。。奥さんをこの世に産んでくれたこと、そして、素敵な女性に育てて下さったことに感謝して、思いを込めた言霊を贈りたいと思ってます。

昨日は母の日と父の誕生日だったので、夕方より妹も含めて、6人で食事会をしました。
それまでに、プレゼントを準備しようということでデパートに買い物に行って来ました。

いままでは、食事会をして、ごちそうすれば、まあ、母の日や誕生日のお祝になって、事足りるかなと思っていましたが、プレゼントもあげた方がいいと奥さんと話し合って、買い物に出かけました。

プレゼントを選ぶって、大変ですね。

母や父の好みを考えて、かつ、そのプレゼントに意味を込めたり、とにかく、その相手の人のことを考えて真剣に選びました。

プレゼントという物ではなくて、それを一生懸命選んでいる、その過程が自分にとって非常に重要なんだなあと思いました。

そして、プレゼントを私が頂いた時は、それを選んでくれたその過程も含めて、相手に感謝したいと思う様になりました。

なにより、一生懸命考えてくれた奥さんに心から感謝したいと思います。

結局、母には今年はやりのかごのバッグ、色は母のすきな少し濃いめの青色、デザインがとっても凝ってました。まだ、現役でひとのお世話をしています。いろんなところに、いろんなものをいっぱいバッグに詰め込んでいくので、大きいバッグがいいだろうということで、これに決めました。

父には、はじめは、スローライフをということで、めざしのやけるような、七輪を。。と思っていたのですが、いまは、オール電化になってしまって、炭に火をつけるのも大変だろうということで、やめました。(本当はじっくり炭に火をつけるところから楽しんで欲しいとも思っているのですが。。)

最近ジーパンやGジャンにこっているようだったので、それにあうような皮のキャップ(あえて帽子とはいいません)を贈りました。

食事会の途中で渡しましたが、その時のスピーチと相まって、物を喜んでくれたというよりも、そこに込めた思いに大変喜んでくれました。

食事会で楽しく食べて話して終わりというものではなく、物や食べ物、あるいは食事会という場をつかって、こころの会話が出来た気がします。

今までで最高の母の日、父の誕生日の食事会でした。

スピーチ。。

さいころに衝撃を受けた一つの出来事があります。

さいころ、よく友だちの誕生日に誕生会で呼ばれますよね。思い思いにプレゼントを買って、おたくに遊びにいき、何かと遊んで、食事会として、カレーを食べる。。そんな会です。

私が5年生のころ、少年野球をしていていましたが、その監督の息子さんの誕生会によばれました。

食事会のまえに、集まってくれた友人のまえで、子供さんに、感謝と一年の反省と、これからの抱負を話させたのです。

それまで、あんまり誕生会について、あるいは誕生日について真剣に考えていなかった私には大きな衝撃でした。
とはいえ、それから自分の誕生会で抱負をいっていたかというとそうでもありませんでした。もっとも、そうやって友人を呼んでの誕生会というのはあまりしてませんでしたね。。

けれど、自分が親になった時は、ちゃんと子供にはそうしようと心に誓いました。

そして、いままではそうして来ました。それは誕生日にかぎらず、いろんなイベントで主役のひとには何かコメントをしてもらうようにしていましたが、今回は、主役のコメントのまえに、参加したひとたち、ひとりひとりにお祝の言葉をスピーチとして贈ることにしました。

母や父に対する、妹のスピーチ、奥さんのスピーチ、私のスピーチ、どれも心のこもった、素敵なスピーチで、それを受けてかえしてくれた、母のスピーチ、父のスピーチ、、どれもこころの鐘を響かせるものでした。

ふだん恥ずかしくて、言えない言葉も、こういうイベントを通じて発する機会を与えられます。
言葉にしなくても伝わるものも確かにあるけれど、言葉にしないと伝わるものも伝わらないこともある。。

昨日は言葉に出来て、本当によかったです。

『お父さん、誕生日おめでとう、お母さん、今日は母の日です。一年間ありがとう。

いままで、34年間いきてきて、やっと最近本当の意味で両親のありがたさが分かって来た気がします。それは、子供が出来た時に、親のありがたさが分かったといわれるのと同じで、なぜ、自分が生きているのか、なぜ人間として生きていくのか、人としての喜びは何かと考えはじめて、本当の意味で「ひと」になりたいと思いはじめたいま、いいかえれば、動物としての人間ではなく、理性をもったひとに生まれ変わったいま、やっと親の有り難みがわかりました。

母親の愛、それは無上の愛、なにがあっても子供を信じる愛、それと父親の厳しさ、人生の荒波を乗り越える厳しさ、優しいだけでは、本当に大事なものを守っていくことはできないという厳しさ、それを今まで教えて来て下さいました。

私にとって最高の両親です。
本当にこの世に産んで下さってありがとうございます。
いままで育てて下さってありがとうございます。
いま、ここにこうして在るだけで、本当に幸せです。

そして、わたしがこのことに気がつくまで、元気でいてくれたこと、このことに本当に感謝します。

とはいえ、まだまだ、いまやっと動き出したところです。いまから、少しづつ歩いていきます。そして、どこまで大きくなるか、ぜひ、見守って下さい。

いつまでも元気でいてください。』

楽しみ。。

明日より、日本外科学会の発表のために、名古屋に行ってきます。
なので、数日は更新しないのではないかと思います。帰宅は13日の予定です。

名古屋といえば、しゃちほこ、味噌カツ。。ではなくて、「やるのは今しかない」のいまいさん。。ということで、無理を承知でお会いできないかとお願いしてみました。

なんと、快く了解していただき、空港まで迎えにしてくださるとのことです。

本当に有り難いです。

どんな出会いになるのか、きっと、いまいさんにお会いできて、また一皮むけるのだろうと思っています。

心より楽しみにしています。

最高の形とは。。

昨日は両親に私たち夫婦のいまの形を話しました。

お互いがみているベクトルの話です。

私たちはお互い、向き合っているというより、それぞれが大きな目標をもってそこに進んでいる感じがします。

向いているベクトルがお互いの方向を向いてしまうと、どうしても軋轢が出来てしまう。
つまり、私で言えば、仕事に集中したいから、夜はしっかりやすみたい、だから、子供の世話は奥さんにして欲しいとか、家の雑用に出来るだけ手をとられたくないとか、夫の尊厳、父親の威厳に気を使って欲しいとか、いわば、奥さんに何かして欲しい、というベクトルがつよくなるとどうしても摩擦が生じてしまうのではないかと思うんです。

いまは、大きな目標に向かって、それぞれが自分を強くすることをそれぞれが自覚しています。
それがあまりにもかけはなれていると、味気ない夫婦になってしまいそうです。

お互いにそれぞれを尊重しあいながら、相手のことを思いやり、自分に出来ることはしてあげる、そうやってしてあげれる相手が居るということに感謝しながら、ますます自分を強く、自分の人生の幹を太くしていく。。

その二本の幹で、より大きな目標を支えようとする。。

そんな夫婦でいることを両親に伝えました。だから、すこしは安心していいよって。。

もっとも、それを聞いて、父は

「ななちゃん、こうやって言ってるけど、まだまだ若いから、油断したらいかんよ、なんかあったら、早めに教えてね」

。。やっぱりいつまで経っても、子供は子供です。えへへ。。

その意味を考える。。

先日の記事に「偶然を偶然として見過ごさない」、と書きましたが、そのあと、ずっと引っかかってました。
目の前に起きたことを、偶然と捕らえ、その意味はなんなのか考える、、というのは腑に落ちるのですが、もっとも大事なのは、やはり、目の前に起きた出来事を事実として受け止めて、その意味を考えることなんじゃないかなあと思ってしまいました。

起きた出来事を「偶然」と捕らえられるものの見方が出来ている人はすでに、その意味を考えているんですものね。。

これは、別にみなさんに伝えたいとか教えたいとか、そういう意味で書いているわけではありません。

自分の中で、考えを整理したかっただけです。

「目の前に起きた出来事をしっかり受け止め、そのことの意味を考えてみる、そして、自分の出来ることをやっていく」

こういうことかなあ。。